NEEDY EXPLORER

日常で感じたことを書いてみます

ゲイバーに行ってきた

こんにちは。NEEDYです。

 

先日、関東で雪が降りましたね! それも大雪!

僕の出身地は雪が滅多に降らない地域だったので、わんさか降り積もる雪には結構興奮しました。僕にとって雪は特別なんです。地元ではいつも雨に変わっちゃうので。

買ったばかりのスマホカメラを片手に外を歩いてみたりしてね。でも雪道ってめちゃくちゃ歩きにくい。履いていたのがスニーカーだったのも良くなかった。右手にはスマホ、左手には傘を差し、滑らないよう慎重に近くのコンビニまで歩いたのですが、普段使ってない筋肉を使ったせいかそのあと腰回りの筋肉痛がやばかったです。

僕は雪にはしゃいでいましたけど、近所では電線が雪の重みで地面まで弛んでしまったところもあったみたいなので、大変だった方も多かったと思います。あの日は仕事が休みで本当に良かった。自分もあの中で出勤退勤してたらこんなに喜べなかったでしょうね。

 

さて、今回の話はそんな大雪のちょっと前の出来事なのですが、ゲイバーに行ってきました。

ゲイバーって僕にとっては結構ハードルが高いというか、友達と新宿で遊ぶときたまーに二丁目へ行ったりすることもあるんですが、入ってもEAGLE TOKYOみたいなクラブ的な空間のところがほとんどで、カウンターに座ってお店の方とお話しするタイプのところには縁がなかったんですね。

 

学生時代にEAGLE TOKYOへ行ったときの写真
児雷也さんのイラストと一緒に撮ったよ

しかも今回は一人で行ってきました。

僕は自主的にバーへ行くようなタイプではないんですが、その日は家で晩酌していたら変な酔い方をしてしまって、「ちょっくら行ってみっか!」と乗り気になっちゃったんですね。

調べてみたら電車で行ける距離にあったものですから、酔った勢いでそのままゲイバーに行っちゃいました。

 

今回行ってきたのは東京ではなく、埼玉にあるところだったんですが、入店したときはなんとお客さんが自分しかいなくて。お店の方と一対一でずっと会話してました。

 

「どうして今日は一人でいらしたんですか?」と訊かれ、

「ゲイの友達が出来たらなと思って」と答えたんですけど、訝しげな顔で「やめといた方がいいよ」と言われてしまいました。

 

僕は「えー!」と思うわけですよ。同じゲイの人と話したいからここに来てるんですけども。なんなら同世代のゲイと話したことないんですよ僕。

しかし話を聞いてみると「友達といってもすぐに身体の関係になって云々」と言われ、「ああ……(察し)」と。

いやでもお店の方の周りがそういう感じなだけなんじゃねえの? とか思ったりもしたんですけども。

 

僕の交友関係って地元の友達がほとんどで、いま暮らしている埼玉には友達が一人もいないんですよね。都内で遊ぶのも地元の友達とばっかだし。

でも色々あって地元にはあまり帰る気になれないわけですよ。なんか訳アリのマイルドヤンキーみたいな状態なんですよね俺。このままでええんか?

 

で、しばらく経って別のお客さんがいらしたんですが、主婦の方でした。お店の方に聞いてみるとどうやら「うちは観光バーだから、ゲイ2割その他8割だよ」と。それ先に言ってほしかったわ……😂

 

そのあとはその親くらい歳の差がある主婦の方とずっとおしゃべりしていたんですが、その方のボトルまで一緒にいただいてしまい、結果アホみたく酔ってしまって……家に帰ったときの記憶がなかったです。

 

とまあこんな感じで、一人ゲイバー体験はある意味の肩透かしを食らって終了しました。

というか友達以前に、そもそもこの歳で新しく人と交流する機会ってどう作ればいいんでしょうね。僕は学生時代SNSで人と繋がることばっかしてた人間だったので、それ以外のやり方で人と交流する方法が思いつかないんですよね。いや言ってて悲しくなってきたな。

 

今回は観光バーというジャンルの場所だったので、

次回はそうじゃないところにも足を運んでみようかなと思った今日このごろでした〜

4年ぶりにスマホを買い替えた

こんにちは。NEEDYです。

 

年明けて半月経ちましたが、まだ自分のなかでは2024年感がないです。いや令和6年ってなんだよ。ていうか来年にはもう2020年代も後半戦になっちゃうんですねー……(遠目)

 

僕はコロナ禍の間、あまりにも家に引きこもっていたせいか、なんか3年分くらい時間の感覚がバグみたいに飛んでるんですよね。家からようやく外に出たらもう3年経ってた感じ。こういう感覚の方、僕以外にもいないですかね?

 

ちなみに、いま僕が使っているスマホiPhone 11なんですが、これ2019年に買ったやつです。コロナ前だったんですね。

当時はまだ大学生だったので、使ってた7から11に買い替えて「最新のiPhoneのカメラで思い出をいっぱい撮るぞ~!」とかワクワクしながら、学生にはめちゃ高い7万くらい出して当時最新だったiPhone 11を買った記憶があります。

しかし、その半年後にコロナが流行ってしまったので……僕のiPhone 11のカメラロールには、出前で頼んだ飯やら、ソシャゲのガチャのスクショやら、そういう「家で撮った写真」が溢れています。

その間に大学も卒業しちゃって、友達とも就職を機に疎遠になっちゃたりしてね。

というか地元出ちゃってるからね俺。寂しいね。

 

で、時は経ち、コロナも落ち着いた昨今、スマホも古くなれば動作が重くなるじゃないですか。昔は大体2年ごとに買い替えるのが普通だったと思うと、だいぶ寿命伸びましたよねスマホって。

ぶっちゃけ11だってまだ全然現役で使える性能なんですよ。

しかしですよ。いやあ、なんとも人間は欲深いものです。「最新のiPhoneってどんなんやろ」って軽い気持ちでレビューやら実機やら色々見てしまったら、最新のものが欲しくてたまらくなっちゃって。いまのスマホは4K・HDRの動画も撮れちゃうし。11は4K・HDRで動画撮れないんですよね。

 

とまあ、欲しくなったはいいものの、価格を見て絶句してしまいました。

僕のiPhone 11は当時7万円でした。これでも高いって思ったのに、今のiPhoneはその倍くらいします。

12万円からってなんやねん…………パソコン買えるわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも買った

 

やっぱ最新スマホは動作がサクサクでいいですね☺

さっそく撮った写真がこちらになります💁‍♂️

 

 

写真(スクショ)

たまんないっすね

https://crave-saga.jp

 

 

……10万超えのスマホ買って、俺はえっちなゲームがしたかったんですかね?🤔

 

親と和解せよ

明けましておめでとうございます。

NEEDYです。まだ初めて間もないブログですが、今年もよろしくお願いします。

 

今日は近所の神社へ初詣に行ってきました!

実をいうと、いまの地域に引っ越して6年も経つというのに、僕は地域の初詣に行ったことがなかったんです……。

しかし、普段から散歩ではしょっちゅう神社に行く僕です。年明け、遠くから響いてくる除夜の鐘を聞いてこう思うわけです。

「普段からお参りに行ってるし、さすがに今年はなー」と。

ということで、初詣に行く理由としてはなんか違う気もするんですが、とにかく行ってきました。人がめっちゃいたよ。

 

さて、記事のタイトルに触れさせてもらいますと、今回の話は「親との和解」です。

新年早々重たい内容なんですけど、今日昨日でいきなりその話が動いちゃったので、まとめていこうかなーと。

 

あんまり言いふらすようなことではありませんが、僕が生まれ育った家庭環境はなかなかに最悪でした。

 

 

なんていうんでしょうね、親の気に障ることをすると物理的な暴力が飛んでくるのがもう当たり前すぎて、「クラスメイトのみんなも親から包丁のひとつやふたつ向けられてるんだよな」と子供の頃は思ってました。世紀末の世界観ですね。

 

親に怒られる=殺されるほどの痛い目に遭う

 

これが子供の頃に学んだ常識でした。

親は生殺与奪の権を握る絶対的存在なので、自分の感情よりも親の感情を介護してあげないといけないわけです。だって子供だけじゃご飯を食べていくこともできませんし。僕以外のきょうだいもそういう風に、おどけた子供を演じて家庭のムードメーカーになってあげて、その日その日を生き延びたんですね。アラビアンナイトかよ。

 

ひどさを通り越してもはや笑えてくるエピソードも多々あるので軽く紹介しますと、

 

「学校から家に帰ってきたら水道が止まってたので、友達の家のお風呂を借りた」

「家から追い出されても行く宛がなかったので、真夜中の中学校の昇降口前の地べたに寝た」

「家賃を滞納しすぎて住む家がなくなり家族が蒸発した」

 

書いててドン引きです。

でも類は友を呼ぶので、学生時代の僕の友達は、これよりも笑えない虐待エピソードをみんな持っていました。怖いですね。僕の仲の良い友達はみんな親から虐待を受けていました。

やっぱ今の時代ってみんな親から殺されかけたエピソード持ってるんですかね。みんなが何かしらの虐待を受けている世の中なのかもしれません。

まあとにかく、そうやって僕は友達と「家庭環境がやばすぎる話」を笑い話に消化して、ガハハと笑ってなんとか学生時代をやり過ごしていたんですね。

 

そして、高校生になれば酒に手が伸びるわけです。

高3の末期には毎晩のように海岸で友達と酒を飲んで、テトラポッドに登って「こんな世界滅びろよ!」とか叫んでいたわけです。夜の真っ暗で何も見えない太平洋。僕の地元の海岸からだと、視界の左奥で江の島の灯台の光がちらちらと見えるんですね。あの光、なんか好きだったなあ~。そのせいか、僕はいまだに江の島の灯台をみるとあの頃がフラッシュバックして悲しい気持ちになります。

 

まあそういう家庭に生まれてしまったのもあって、僕はいまでも不安障害と虐待のPTSDを持っていて日々を生き抜くのがつらいんです。

でも、こうしてまだ生きているわけですから、決して死にたいわけじゃないんですよね。

 

傷こそ深いかもしれませんが、傷は癒えるものです。

でもその傷は、親も、他の誰でも、決して治してはくれません。というか他人には治せません。だからこの傷は僕が自分の意志で治さなければいけないわけです。

 

というような「虐待の傷は最終的に自分が癒して自分で立ち直らなければならない」ということを自覚したはいいものの、トラウマのエピソードと向き合うのはまあまあしんどくて、気づいたら25歳になってました。もう学生じゃねえのよ俺。

 

親から虐待を受けたので生きられません、とか言っていられない。俺にはプライドがあります。「虐待の被害者」という立場のままでずっと生きてくのは嫌ですから。

 

前回の記事にも書きましたが、最後に親に会ったときは、

「もう和解も家族も諦めて、親が死んだそのとき、色々あったけど最後に会ったときは温かな思い出だったなあと思いたいし、もうこの際全部許すわ」

とか思ってたんですね。

実際、許せていたつもりだったんです。

 

でも新年明けて、親からきたメールがまあまあ僕に「怒り」を思い出させる内容でして。

まるで何もなかったかのように「仲の良い家族」みたいな文面であけおめとか言ってくるわけです。ちなみに僕は短気で割とカッとしやすいです。そのときは酒も入っていましたので、火に油でした。

 

怒った俺は、

「そういう馴れ合いとかいらんから、もういい加減、子供を虐待したその心理を話してくれんか?」

と親に送り返してしまったわけです。

 

「自分の加害体験と向き合ったところで別に殺されるわけじゃないし、社会的に責められたりしないでしょ。俺はもう許してるんで。あとは謝罪するだけじゃん」

「この話をするのを避けて家族には戻れないよ」

 

その後、ちゃぶ台返しみたいに怒涛のお気持ち表明をしてしまったわけです。

まあこれでも響かねえんだろうな~とタカをくくって親をブロックしようと思ったそのときでした。

 

「私が悪かった。だからちゃんと会って話そう」

 

と返ってきたわけです。

 

衝撃でした。絶対逃げると思っていたので。

でも同時に「厄介なことになったぞ」と。

文面上でやり取りするのと、実際会って話すのは全くの別物です。

もう僕も大人ですから、子供の頃のように親からの暴力にさらされることはないんですけど、やっぱ怖いんですよね。

だってかつて胸元に包丁突きつけてきた人と、その件について話すんですからね。とっさに身体が防御反応をしてしまうというか、フラッシュバックがやばいです。

 

虐待によるPTSDって結構持ってる方多いと思うんですけど、その解決法についてはまだ時代が追い付いてないんじゃないかと僕は個人的に思っています。

僕としては結局は当事者同士の対話で癒していくしかないと思うんですが、自分がまさにそれをこれからやると思うとかなり怖いですね。

今は殺されそうになっても反撃できるくらいの身体なんだけど、傷ついた心の部分は子供のときの感情を引きずっていますからね。またアラビアンナイトみたいなことにならないといいんですが。気を抜くと親のご機嫌取りしそうになるこの呪いを祓いてえ。

 

怖い! でもがんばれ俺!

 

ということで、新年早々ヘビーな記事を書いてしまったかもしれませんが、

今年がいい年になるよう、僕はこの試練に立ち向かっていきたいと思います。

 

それでは。

Spotifyまとめから今年をふりかえる

こんにちは。NEEDYです。

 

寒くなったかと思ったら、ここ一週間は暖かい日が多くて身体がちょっとついていけてないです。寒いのか暖かいのかどっちやねん!

先日は散歩してたら近所に植えてあるツツジが狂い咲きしてて、やっぱり最近暖かいよね〜、と植物に共感してしまいました。もう春やね(錯覚)

 

さて、そろそろ12月も折り返しですね。

サブスクが溢れる昨今、僕は音楽サブスクのspotifyに課金してるんですが、

spotifyから僕の今年の視聴ランキングなるものが出たので、今回は感想と一緒にブログに載せたいと思います。個人的なふりかえりということで。

 

ということで、こちらがランキングになります💁‍♂️

 

\  デデーン! /

 

今年のトップアーティストはこんな感じでした。

ツレに「今年のまとめはこんなんだったわ〜」と見せたら、「人格が統一されてない人みたい」と笑われました。ただの悪口やん。

 

それぞれのアーティストに、僕なりのさまざまな思い出がありますので、知らない方への紹介も兼ねてふりかえっていきたいと思います。

 

5位:Green Assassin Dollar

 

Green Assassin Dollarの存在は「舐達麻」から知りました。

僕自身はあんまりヒップホップは聴かない人間なんですが、仲の良い友達が結構好きらしく勧めてくれて。「舐達麻」のある意味でぶっ飛んだリリックのバックで流れるビートがこのGreen Assassin Dollarのものだったんですね。

 

バダサイは「104が朝死んだら」と「Green Assassin Dollar」で韻を踏むな

 

音のノリというか、サンプリングの仕方というか、聴いてたらかなり気に入ってしまって……

気付いたらしょっちゅう聴いてました。Youtubeに上がってるライブのビートとか、最高にカッコよくてチルい。これも何回も聴いてます。夜にかけてるとブチ上がるんで是非。

 

 

曲単体だと「Next Time」かなり好きです。

Green Assassin Dollarはいいぞ。

 

4位:エリック・サティ

 

エリック・サティを知ったのは、映画「涼宮ハルヒの消失からでした。

劇中歌として、「ジムノペディ」「グノシエンヌ」「ジュ・トゥ・ヴー」が流れていたんですね。

 

当時死ぬほど観ていた予告。BGMのジムノペディが最高でした。

 

どれも有名な曲だと思いますが、特にジムノペディは学生時代にたくさん聴いていたので当時の情景と合わさって僕の情緒をめちゃくちゃにしてくれます。気分がダウナーになっているときにしょっちゅう聴いてます。

エリック・サティの曲って、聴いているとカサついた気持ちが不思議と穏やかになるんですよね。

ジムノペディのメロディーも、どこか寂しく、悲しく、苦しいんだけど、でも妙な心地よさがあるというか。僕にとっての鎮静剤です。

 

僕はこの曲を聴いていると、放課後の学校の日の当たらないシンと冷えた無人の廊下が浮かび上がります。皆さんはどんなイメージが浮かぶでしょうか。

 

 

3位:大貫妙子

 

大貫妙子を知ったのは高校時代でした。

選択科目で取っていた「音楽」で、教科書に大貫妙子坂本龍一のコラボ曲が載っていたんですね。

この手の世界観の曲ってなんというんですかね、NHKの「みんなのうた」の感じをもっと大人に寄せたような、大人向けのEテレの世界観っていうんですかね。僕はこういった曲が割と好きです。

 

で、時は過ぎ、今年に入ってから、近年のシティポップブームに自分も乗じて、過去のポップスを色々と漁っていたら、大貫妙子のアルバム「SUNSHOWER」に出会ったわけです。

あ、音楽の教科書に載っていた人じゃん! と。

 

 

僕は生まれていないのであくまで想像と偏見でしかありませんが、高度経済成長期のあの70年代の音楽にしては、豊かになっていった世の中をちょっと斜に構えて見たような、シニカルな歌詞とすっきりした曲調にすっかり僕は虜になってしまいました。

たぶん今年で一番聴いたのはこのアルバムだと思います。夏にめっちゃ聴いていました。

 

「くすりをたくさん」とか

『狂ってるのは君だけじゃない』『どんなことを見ても あたりまえなんて思っちゃ駄目』『くすりをたくさん 選り取り見取り』『なおるころにはまた病気』

という歌詞なんですけど、いやこんな淡々とした歌声ですげえ皮肉言うなあ、と。好きです。

世界観が俺の認知とたぶん近いんですね。今年一気に入ったアーティストです、大貫妙子

 

2位:じん

 

じんさんといえば、カゲプロこと「カゲロウプロジェクト」で有名な方です。

 

僕はかつてボカロ好きな中高生だったので、カゲプロどんぴしゃ世代であるのも相まって、カゲプロ楽曲を当時はめちゃくちゃ聴いていました。

高校時代にはお台場のZeppでやってたライブにも行きました。ふりかえれば高校時代に一番ハマっていたコンテンツだったかもしれません。

 

 

しかし、大人になるにつれてカゲプロ楽曲を聴く機会はずいぶん減っていき、近年ではめっきり聴かなくなっていました。

 

しかし、今年に入って自分の人生を内省する機会が多くなった僕は、かつて好きだった作品には、当時の自分の気持ちが隠されていることに気づいたんですね。自分という人間を理解する上での手がかりというか。俺って一体どういう人間なんだろう? と客観視するヒント、みたいな。

 

で、久しぶりにカゲプロ楽曲を聴いてみたところ……めっちゃロックしてるな、と。

 

カゲプロは「メカクシ団」という様々な家庭事情を抱える子供たちが集まる秘密組織が、理不尽な世界に立ち向かっていく作品なんですが、

言ってしまえば、カゲプロとは被虐待児のためのロックだと思うんですね。虐待児ロック。

 

8月15日に死んだはずの子供たちに宿っているさまざまな蛇の力という設定。

「目を欺く力」「目を隠す力」「目を奪う力」など。

(おそらくは)親からの虐待を受けて、自分をひょうきんなように取り繕うキャラ、自分の女性性を否定するキャラ、人と目を合わせらないキャラなど、様々な傷を負った子供たちがカゲプロには登場するんですが、カゲプロ楽曲ではそのキャラクターの心情をロックに乗せて歌っているんです。

 

僕が好きだった曲も、今聴いたら「当時の自分の感情を代弁してるやん」って印象を受けましたし。

 

特に「daze」という曲の歌詞はすごく心に刺さります。

 

 

【Let's 「daze」心を消さないで

 Let's 「change」 一人で泣かないで

 「孤独」なら塗り替えれる

 思い出してよ言いたかったこと】

 

【揺らめきだす街の中

 挫けそうになってしまっても

 「孤独」なら塗り替えれる

 「ひとりぼっち」を変えようとした君となら】

 

カッコいいロックのメロディーに、この歌詞が乗っているんです。

居場所のない子供たちにとって、最高の応援歌だったと思います。もちろん、僕もこの曲に励まされていました。

 

なんというか、カゲプロは記事にできてしまうくらい想いが溢れてしまうので、ここまでにしましょう。語り出したら止まらなくなっちゃう。

 

とにかく、大人になったいま、カゲプロの楽曲は僕の心に刺さりまくって「頑張らねえと」と勇気をもらえているいうことです。現実に立ち向かえ!

 

1位:Azymuth

 

アジムスはブラジルのジャズグループです。

南国の景色が浮かぶような多彩なパーカッションがとにかく魅力的なグループだと思います。

 

僕がアジムスを知ったのは、ニコニコ動画からでした。

 

中学生のとき、僕はテスト勉強でこういうのをかけるタイプの子供でした。そのなかでもやたら耳に残る楽曲がありまして、それがアジムスの楽曲でした。

 

それからアジムスを単体で聴くようになり、いまでもGreen Assassin Dollarと並んで夜に部屋でよくかけてます。陽気な気持ちになる楽曲が多いんですよね。

 

アルバムは「Outubro」が一番好きです。特にUn Amigoのうねるようなベースが僕の性癖に刺さると言いますか、とにかくおススメです。

 

 

あとはド定番ですが、Vôo Sobre O Horizonteも。

 

アジムスは定期的に来日しているんですけど、なぜか毎回、来日ライブが終わってからライブがあったことに気づきます。すでに2回ほど見逃しているという。

もうメンバーも結構歳なので、次があれば是非生で見たいッスね。

 

 

 

ということで、今年の僕のspotifyまとめでした。

気になったアーティストがあったら是非聴いてみてください。

 

こういうまとめってかなり人それぞれだし、その人の人柄が見える感じがして好きなんですが、今年皆さんはどのアーティストを聴きましたか?

 

それでは。

 

セクシーボイスアンドロボ

こんにちは。NEEDYです。

12月になりました。来月にはもう2024年だと思うと衝撃です。

 

寒くなりましたね!

「越夏」という言葉はなかなか耳にしませんが、「越冬」という言葉はしばしば耳にします。その理由を身をもって理解しました。

僕の住む地域では、朝の気温が0℃以下になることが多くなってきました。いや、マジで寒すぎる。いつも寒さで目が覚めます。越冬って言葉に納得。確かに冬は乗り越えるものだと実感しますね。

寒いのは苦手です。まだ冬になったばかりですが、もう春が待ち遠しい気分です。

 

ところで、近頃は夢をよく見ます。幼いころの夢が多いです。

僕は基本的に夢を見ない人間だったんですが、壊れた給湯器を買い替えられるようになったり家族と久しぶりに食事をしたり、その他諸々、日常における不安要素が減ったのもあるのか、結構熟睡できるようになったんですね。

やっぱ心に不安があると頭の片隅で気を張っちゃうというか。だから身体も力を抜けきれずにどこか強張っちゃう。とにかく安心できる状態って大事です。マズローの欲求五段階説はかなり的を得ているんじゃないかと思います。

 

というか、毎日のように夢を見るなんて小学生のとき以来かもな~、なんて考えていると、ふと昔に観ていたドラマを思い出しました。

その名もセクシーボイスアンドロボです。

これは2007年に日テレで放送していた番組です。

当時、デスノートの映画でL役をやっていた松山ケンイチが好きだった僕は、このドラマが放送することを知り、

「L役の人がドラマに出るなら絶対観たい!」

と、小学生には夜更かしの時間帯である22時放送のこのドラマを、親に頼んで録画して観ていました。

 

もう16年前のドラマなんですが、かなり印象深い作品だったので「久しぶりに観てみたいなあ」と思ったはいいものの、

このドラマ、サブスクにはなかったんです。

レンタルでなら観れるようです。でもせっかくなら一度きりじゃなくて何度か観返したい……。

 

ってことでDVDBOXを買いました。

BOXが原作絵なのがいいですね。2007年当時に買った原作本と並べてみました。

ドラマ版は原作とは設定がかなり違うし、オリジナルエピソードの方が多いんですが、

僕のなかで一番記憶に残っているかつお気に入りの回でもある第1話「三日坊主」は、原作にもあるエピソードでした。

 

繰り返しますが、これ2007年の作品です。当時の僕は9歳でした。文章にしてみると衝撃。「俺、9歳のときにこれを観てたんだ……」と子供時代の感傷的な記憶に引きずられながら、届いたBOXからおもむろにDVDを取り出して、さっそく第1話「三日坊主」を視聴しました。

 

「親に相談する子供なんて、この世に居るのだろうか」

「大抵の親は面倒なことは知りたくない。子供はそういうこと、嫌ってほど学習しているから」

「よく知っているのだ。とにかく問題を起こさないこと、トラブルになることは避けて通ること」

「へまをして、学校にも家にも居場所を無くした子が、今どうしているのか、私たちは知らない」

「私にとって世界は、家と、学校と、コンビニで出来ている」

 

大後寿々花演じる中学生の主人公・ニコによる独白から第1話は始まるんですが、この語りが当時から非常に印象的だったのを思い出しました。

 

今になって観ると、非常に辛辣な独白ですよね。そのほかにも、作中で語られるニコの台詞は大変心に突き刺さるものが多いです。親が途中から一緒にこのドラマを観なくなった理由がよくわかりました。

同時に、このドラマに僕はものすごく救われていたのだと実感しました。地獄みたいな家庭にいた自分にとって、希望の光のような作品だったんだと。いや子供の頃にこんなん観てたらめっちゃ影響受けるに決まってるやんけ。

確かに子供って親のことすごく気遣ってるんですよね。興味を引くためにわざとおどけてみたり、親が望む子の像を演じてみたり。いや〜俺って家でも学校でも散々道化を演じてきたなあ、なんて主人公・ニコの姿に自分を重ねながらいろいろなことを思い出しました。

 

ニコは七色の声を使い分ける特技と、非常に良い耳を持っています。

その才能を存分にいかして、松山ケンイチ演じる「ロボ」といろんな事件に立ち向かう、というのがこの作品のあらすじなんですが……

 

この第1話「三日坊主」では、ニコが中村獅童演じる殺し屋・三日坊主と関わったことにより、最終的に三日坊主は裏社会の人間から始末されてしまいます。

 

それをニコは新聞の一面で知ります。自分が三日坊主と関わらなければ、三日坊主は死ぬことはなかったのか。

 

「もし私が三日坊主に会わなければ、三日坊主は生きてたってことですか?」

「だとしたら私のせいだ」

 

そう悔やむニコに対して、浅丘ルリ子演じる謎の組織の女主人がこう返すんですね。

 

「そうよ。あなたのせいよ」

「だってあなた一人で生きてるんじゃないもん。この世界にあなたは関わっているの。どうしようもなく、関わっているのよ」

 

とても辛辣で厳しい、冷や水を浴びせられた気分になる言葉です。

でも、その通りだなって思います。

僕はこの世界に関わっている。そう考えた瞬間、親から向けられた「悪意」を他者に垂れ流した過去が頭をよぎり、うっと思わず頭を抱えそうになる。

だからそういう意味では、僕は誰かの人生に負の影響を与えているのかもしれない。

でも、それだけじゃない。これまで関わった人たちに、もしかすれば、自分は良い影響を与えているのかもしれない。

かつての同級生の言葉に傷ついたこと。同時に、かけてくれた言葉に救われたこと。それと似たようなことを他人に僕はしていたのかもしれない。等々。

 

第1話を観ただけで、ぶわーっと洪水のように自分の人生を内省してしまいました。

 

一気見するつもりでいたんですが、これはゆっくり消化していく作品ですね。

調べてみたら、かなり有名な脚本家のドラマだったんですね。木皿泉。「野ブタをプロデュース」だとか、「Q10」だとか、めちゃ有名な作品の方じゃないですか。

 

というわけで、子供の頃に観ていた作品をいまになって観てみると、想像以上に「作品」というものに自分の人生は影響を受けていたのだと気付きました。

 

少なくとも、木皿泉の脚本に、僕はものすごく影響を受けていたようです。

 

とりあえず、自家中毒にならない程度に、ゆっくりと1話ずつ消化してこのドラマを観なおしていこうと思った今日このごろでした。