こんにちは。NEEDYです。
昨日、数年ぶりに母と会って食事をしました。
やはりといいますか、わかってはいましたが、母は僕と二人きりで会うのは無理だったようで、母はまだ6歳の幼い弟を連れていました。
海の見えるレストランで、僕たちは最後の食事をしました。
僕の地元は神奈川の海沿いにある街でした。海水浴をするにはちょっと波の荒い、磯で濁った海のある街。そこが僕の生まれ育った故郷でした。
地元に帰るのは数年ぶりでした。
新宿からロマンスカーに乗り、僕はずっと車窓からの景色を眺めていました。すると、走馬灯のようにかつての思い出が過っては消えていくんですね。
そういえば、昔あそこへ遊びに出かけたっけな。
この駅は友達の最寄りだったな。
景色を見ることがなければ、思い出しもしなかったことを思い出しながら、ついに電車は地元に入りました。そこで僕はこう思ってしまったんです。
「ああ、この街にいるの、ずっとずっと苦しかったな」
果てのない太平洋の広がる海と、街を囲うどこまでも高い山々。
高校時代、テトラポッドの連なる海岸で、夜な夜な友達と集まって酒を飲んでは吐いて、海の果てに逃げ場を求めていたあの記憶。
あの頃、荒れ果てた夜の海にしか、僕の居場所はありませんでした。そんな地獄の街に、自分は帰ってきてしまったんだと。
何よりも、優しさや温かさの記憶より先に、そう思ってしまった自分自身に、僕は虚しさと悲しさを覚えてしまったんです。
海の見えるレストランで、僕は母と弟の3人で食事をしました。
母が昔からよく「美味しいところ」だと言っていたレストランを僕は指定したんですね。母の言った通り、確かに美味しいレストランでした。おしゃべりな幼い弟を中心に、他愛のない家族の食事を僕たちはしました。
母がピーナッツが嫌いだったということも、きっとナッツのかかった一皿が出てこなければ思い出すこともなかったでしょう。「私、ピーナッツ嫌いなの」「ああ、そういえばそうだったね。忘れてたよ」「お母さんはなんでピーナッツ嫌いなの?」母と僕と弟で、そんなような会話をたくさんしました。僕はとても幸せな気持ちになりました。
レストランを後にすると、母から「弟は海岸まで行ったことがない」という話を聞いたので、僕は海岸へ行くことを提案しました。
弟は海岸で迫りくる波にはしゃいでいました。波が引いた瞬間に「お兄ちゃんの顔を描いたよ」と言って、またやってくる波から急いで逃げて、弟の描いた僕の似顔絵は波に消されて、波が引いたらまた描いて。弟はそんなことを繰り返して、時々貝殻を拾ったり、木の枝を砂浜に刺して「倒した方が負けのゲームをしよう」と言ったりしていました。
弟は楽しそうでした。海ではしゃぐ弟と、それに付き合う兄である僕。その光景を母は少し離れた距離でそっと見ていました。
それから僕が帰る時間になり、駅の改札の前で、僕たちは抱き合いました。きっとこれが、僕にとって最後の母との抱擁になるのだと思いながら。
「またね」と母と弟が言って、
「じゃあ、みんな元気でね」と僕は返しました。
改札を抜ける前、一瞬だけ僕は母と弟の方を見やりました。それからホームへ降りるまで、僕は決して後ろを振り返りませんでした。
振り返ってはいけない気がしたんです。
また会うかもしれない可能性があるというのを、僕は示したくなかったのかもしれません。
こうして僕は、家族を手放しました。
今日の朝食は、なんとなくツナとトマトソースのペンネを作りました。これは母が自分たち子供によく作っていたごはんです。
あのレストランで食べた料理の味を、僕は忘れません。
母から受け継いだ、ペンネの味も。
清算されない、清算できない、おぞましい虐待の記憶がなくなることはありません。無かったことにもなりません。
ですが、最後にただただ家族として食事が出来て本当に良かった。
心からそう思います。
これでもう、過去の怒りや恨みに引きずられる今までの人生は終わりました。
じゃあ、その次。
これからの人生を、未来を、僕はどうしようか。
そんなことを考えながら、今日は晴れた空でも見て、散歩に出かけようかなと思います。
今日はとっても良い天気ですから。