NEEDY EXPLORER

日常で感じたことを書いてみます

タナトスとエロス

こんにちは、NEEDYです。

 

ギリシャ神話には、タナトスエロスという神が登場するのですが、映画や小説などの創作物において、このタナトスエロスはよく物語構造として用いられることがあるようですね。

 

ここでは、タナトス死と破壊の概念と定義し、エロスを生と愛の概念と定義して話そうと思います。

 

僕が好きな映画である是枝裕和の「海街diary」では、監督自身が「映画ではタナトスとエロスがバランスよく配置されるように作った」と言っています。

 

確かに「海街diary」は、葬式から始まり葬式で終わるというタナトスの漂う物語です。

しかし、そんな中で4姉妹は鎌倉という街に暮らし、たくさん食事をし、誰かを愛するというエロスを内包している。

 

こうして考えてみると、僕はこの映画を「親から捨てられた子供たちの物語」だから好きだと思っていたんですが、きっとこういった要素にも惹かれて好きなんだなと思いました。

 

で、自分のいままでの人生を俯瞰してみると、「俺の人生はタナトスがちょっと強えな」と思うわけです。

 

振り返ってみれば、昔から「NEEDYくんはすごく生き急いでるよね」と周りに言わることが多かったんです。

確かにその通りだったといまは思います。

 

日勤と夜勤のバイトを繰り返して生活リズムはぐっちゃぐちゃ、その稼いだ金を友達とのオール飲みで毎晩のように溶かし、その日のノリで遠方へ旅行に行ったり。こうして書いてみるとだいぶ彷徨ってる人生でした。

 

僕は心のどこかでずっと死にたいと思っていました。

自分にはどこにも安心できる「居場所」がなくて、安心できないから死にたいと思うその理由すらも考えたくなくて。

酸欠になるまで走り続け、あわよくばどこかでコケてぶっ倒れて、そのままポックリ逝ってしまいたかった。

 

つまり、いままでの僕は、自分の中のタナトスを燃料にして人生を走ってきたんだなー、と。

首を吊らない、窓から飛び降りない、遠回りな方法で自殺がしたかったんですね。

 

僕にとってのタナトスの原料は、「居場所がなかったこと」、「生き急ぐが故の心身の疲労」でした。

 

確かに子供の頃は、家庭が狂いに狂ってたんで自分の居場所なんて簡単に辿り着けなかったんですけど、いま、僕は25歳ですからね。

居場所を自分で探し、自分で作る歳になっちまったわけです。人のせいにもしてらんない。というか、それを断ちたいからこそ家族を手放したわけで。

 

星野源の「喜劇」という楽曲を最近聴くことが多いんですけど、その歌詞にも「探し諦めた わたしの居場所は作るものだった」って書いてありますからね。

 

と、言ってもだよ。

自分の居場所ってどうやって作ればいいんだよ!わかんねえわ!という状態です。

まあでも、いまはせいぜい頑張って生きていくしかないんですね。

 

やー、いつかはエロスあふれる生命力の強い人間になりてえなあ。

 

僕はいま埼玉に暮らしているんですが、海沿いと比べると内陸部は寒暖差が激しいんですね。未だに身体が慣れてません。極度に寒がる僕に、「最近はだいぶ寒くなってきたね」なんて、職場のおじさんが笑って世間話をしてくれて。地元で暮らしたときから使っている薄っぺらいパーカーに首を埋めながら、今朝はそんなことを考えていました。