NEEDY EXPLORER

日常で感じたことを書いてみます

是枝裕和「海街diary」を観て、自分の両親と地元に思いを馳せる。

こんにちは。NEEDYです。

 

僕の高校時代、とある映画が公開されました。是枝裕和監督の「海街diary」です。

当時はラブライブ!の劇場版が高校で流行っていて、この映画はそれと同時期に公開していたものですから、高校時代の思い出と相まって僕のなかではいろんな意味で印象深い映画になっています。

 

そんな「海街diary」はBlu-rayを買っちゃうくらいには大好きな作品なんですが、じゃあどうしてこれが好きなのかといえば、是枝監督自身が語っているように「親から捨てられた子供たちの物語」だからなんですよね。

 

僕の家庭は、家庭というものが成立していないくらい崩壊していました。両親の夫婦関係は最悪で、父親が浮気をするたび、それを引き留めるように母親は子供を作っていました。

子は鎹とはよく言ったものです。子供の存在が夫婦関係を無理やりに成立させ、気づけば4人の「父親を引き留めるために生み出された子供」が僕の家庭には存在していました。子供が欲しいからではなく、父に浮気をされても子供がいることで自分から離れられないようにさせる。そして悲しみに暮れる自分を子供たちに癒してもらう。僕の母親はそういう人間でした。

中学生のとき、僕はそれを母親に指摘してしまったんですね。

母親は大激怒して、キッチンからおもむろに取り出した包丁を僕に突き出しました。床も見えないほど汚い、荒れ狂った一軒家の中で僕は自室へと逃げ込みました。襖を一枚挟んだ向こう側で、どん、どん、と包丁を持った母親が僕の部屋の襖を叩く音がして、襖の和紙から包丁の先が突き出てくる恐怖に怯えながら、必死に襖が開かないよう全身で抑えたあの記憶。

 

きょうだいはその光景をただただ見ていました。それから親に、自分の気持ちを話すことは家庭の中でタブーになり、いつ包丁を突き出すかわからない母親を僕たち子供は労り続けたんですね。父親はずっと家におらず、深夜にぽつんと帰ってきては自室にこもる毎日。

 

高校生になって、家で食卓を囲むのが嫌になった僕は、毎日のように友達とファミレスで晩御飯を食べていました。類は友を呼ぶわけですから、僕と一緒に食事をしてくれた友達も、家にいるのを避けたかったのでしょう。ずっと高校を出たら自由になって好きなことをするんだ、なんて希望を語り合っていました。

 

あの頃、一緒に食事をした友達とはいつの間にか疎遠になってしまい、25歳になった今、彼らは一体どうしているのだろうと時々考えます。

 

海街diary」は年に数回は観るほど僕は好きなのですが、最近は映画のとあるシーンに強烈な切望を抱くようになりました。

 

長女である幸が、自分と妹たちを捨てて出て行った母と一緒に祖母の墓参りにいく場面です。

幸が母へ、亡き祖母が作った梅酒を持ってくるために、いったん母を置いて家へと駆けていくあの場面。

「そこ滑るわよ。気を付けて」

幸を気遣うあの母の一言が、僕の心を突き刺すんですね。

あの瞬間だけ、幸と母は親子としての正しい形に戻っている。過去の諍いが凪のように、一瞬だけ無くなるあの場面が、僕にとって「欲しいもの」を突きつけてくるんです。

 

もう僕は、母と親子に戻ることはできないんです。包丁を突き出したこと、それ以外の数々の虐待の日々。その謝罪が成されない以上、ただただ僕の抱く「親への愛情」は両親へ向けたところで、ブラックホールのように虚無に吸い込まれていくんです。だって、結局、両親から僕への愛情が返ってくるわけではないのですから。

 

でも、「海街diary」のような、あの場面のような、一瞬でも成立しうる「親子の形」は、もしかしたら実現できるのではないか。

そんな切望が、僕のなかに宿ってしまっているんです。

 

これを書いている今から3日後、僕は母親と久しぶりに会う予定になっています。

もう親子には戻れないけれど。

もう二度と会うことはないけれど。

かつての地獄のような日々を飲み込むことはできないけれど。

最後の温かな思い出として、親子でただただ食事をし、母親とさよならができたらいいなと思っています。

 

だから決して、僕は母親に恨み言を残してはいけない。怒りや悲しみを返してはいけない。

「いままでありがとう。どうか元気でね」

それが言えることを願っています。

 

今も母親に縛られているきょうだいたち。本当は「もう子供たちを解放してあげてくれ」と叱ってしまいたい気持ち。でも僕は母親の親ではないから、あくまで子供だから。

僕はそこまで背負えないから。

家族を失う痛みを保留にしたまま、ここまで来てしまった自分。

そして、家族を手放さないからこそ残り続ける怒りと恨み。

心がつぶされそうな毎日。

 

これがなくなったとき、僕はどうなるんでしょう。

これで自由なのか。それとも。

 

そんなことを思いながら、今日は「海街diary」を観ていました。生まれ育った地元の海を思い出しながら。