NEEDY EXPLORER

日常で感じたことを書いてみます

俺の心の中にいるオベロン

こんにちは。NEEDYです。

 

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今朝はテレビを点けたら、とあるニュースがやってました。

今年の冬は、地球温暖化による異常な暖冬だったとか。

 

やっぱり今年の冬は暖かかったですよね。

我が家では、去年の11月に買った灯油がまだ残ってます。おかげで灯油代が万単位で余りました。でも環境のことを考えると素直に喜べない状況かもしれない……。

暖冬とはいえ、それなりに寒い日もありましたね。個人的には今年の冬は暖かかったというより、寒暖差がひどかった印象です。

 

 

さて今回は僕が好きなソシャゲのFGOについて書いていこうかなと思います。

みなさんはFGOをご存じでしょうか。正式タイトルはFate/Grand Orderというのですが、このソシャゲは2015年にリリースされ、今に至るまでサービスが続いている長期タイトルです。

 

www.fate-go.jp

 

この作品がどんなゲームなのか知らない方に説明すると、

FGOとは「ノベルゲームにプレイヤーが操作するキャラクター戦闘の要素を加えたRPGとでも言えばいいでしょうか。

 

ノベルゲームの要素があるので、当然ゲームにはメインストーリーがあります。

そしてこのゲーム、2015年にリリースされたにも関わらずいまだにメインストーリーが完結していません。かなりの長期連載です。

 

しかしメインストーリーの実装は不定ですので、いつ完結するんだ状態になっています。

リリース当時は高校生だった僕も今や26歳です。

もはや僕にとってFGOとは「いまだに完結していない小説シリーズ」みたいな存在になっていて、ゲームを辞める辞めないの問題ではなく、「きちんと完結を見届けられるか否か」が重要になってます。

気づいたらもうストーリーを8年も追ってる小説シリーズの読者みたいな状態。

 

ストーリーは結構面白いです。

そうじゃなきゃ8年も追っていないわけですが、とにかくFGOの売りはストーリーにあります。

 

そのなかでも特に僕が好きなのが、

「第2部 6章 妖精円卓領域 アヴァロン・ル・フェ」です。

 

FGOの世界観は設定を理解していないと説明しにくいのですが、この章は「人間が滅んだあとのブリテン島に、無邪気な妖精たちが住まっている」という設定のお話です。まあそれがなかなかにエグい内容なわけです。

 

FGOを制作しているTYPE-MOONというクリエイター集団の作品はそもそもがエグいんですが(Fate/Stay nightの桜ルートとか)、この章の闇深さは一級品です。

現代の作品って、シリアスな問題につっこんでいる物語はかなり多くなってきた印象なんですが、なんていうんでしょう、この章に出てくるとあるキャラクターの心理が僕にとってはかなり印象的だったんです。

まだ名前がついていなかった自分の心理状態に名前が付いた、といいますか。

それが記事タイトルにある「オベロン」です。

 

 

僕の心の中にはオベロンがいます。おそらくは、他者の心の中にも。

FGOを知らない人にオベロンについて説明するとなるとかなり難しいのですが、敢えて例えるのなら「進撃の巨人で地鳴らしをしたいと思う心理」に近いでしょうか。

敢えて例えるなら、です。オベロンと地鳴らしでは「根本的な動機」が異なりますが、感情の方向性は似ていると思います。オベロンとはそういった方向性の感情を抱いているキャラクターなんです。

 

FGOのストーリーのなかでのオベロンの立ち位置は、「人間が滅んだあとのブリテン島そのものが、自分の土地に住まう妖精たちを気持ち悪く感じ、消えてほしいと願って生み出された存在」です。

この世界で例えるのなら、地球が自分の大地に住まっている人間が気持ち悪くて滅んでほしいから生み出した存在、とでもいいますか。

 

ここまで話したら思いますよね。このFGO第2部6章に登場する「妖精」とは、「人間」のたとえであると。つまりオベロンとは我々人間が気持ち悪くてしょうがない感情を抱えているキャラクターであり、この2部6章とは我々人間社会の話であると。

 

こういう気持ち、僕の心の中にはあります。

これを単純な「人間が滅べばいいのにという気持ち」と括ってしまうと、先ほど例えた「オベロンと地鳴らしの違い」がわからなくなってしまうのでこの気持ちをもっと掘り下げてみます。

 

進撃の巨人のエレンが地鳴らしをしたい気持ちもなかなかに説明しにくいのですが、エレンの地ならしにある感情には「生への欲求」が含まれていると思います。しかしオベロンの人間を滅ぼしたい気持ちにはそれが感じられません。

文字通り、すべて消えてなくなってほしいんです。

 

個人的な話ですが僕には家族がいません。

このことについては、ブログで散々書き連ねてしまって、何回そのことについて語るねんと思っているので詳しい説明は省きますが、自分の居場所・コミュニティという意味での家族が存在しません。

 

だから自分の居場所だと思える家族を持っている人たちが何かを嘆いているのを見ると、僕の心の中のオベロンが疼く瞬間があります。

 

お前には家族という居場所があるだろうがよ

それでもまだ何かを欲しがるのか

気持ち悪いな

 

という気持ちです。

しかし断言できますが、この感情は僕に家族がいれば絶対に抱くことがない感情です。

 

これは嫉妬というよりも、

「自分よりも豊かな生活をしている人が、自分よりも豊かなその生活が貧しいと嘆いていることへの怒り」です。

 

お前が嘆いているそれを、俺は持ってすらいないんだが? という怒り。

持っている者が、持たない者に愚痴っていることへの憤怒です。

 

オベロンはこのような怒りを「破壊欲求」へ変容させてしまったキャラクターとでもいえばいいでしょうか。この世界に核兵器を落としてすべてを消してしまいたい、イデオロギーのないテロリズムに近い、そんな感情です。

FGOは、そんな僕の心の中にあったどす黒く捉えられなかった感情に「オベロン」という名前を与えてくれました。

 

で、僕は思います。

自分の中にいるオベロンをいつか消滅させなきゃならんよな、と。

この「人間社会が気持ち悪いからみんな死ねと思う気持ち」は、文字通り「みんな」が含まれます。子供や老人もです。

 

ちなみにFGOのストーリーでは、オベロンは主人公たちに倒され虚空の中に消えていったわけです。

だから僕もこの気持ちを消化させなければならない。

いつまでも世を呪い厄災を願うような気持ちを抱えているのはちょっと嫌だなと。そう思わせてくれました。

 

まあ言ってしまえば、オベロンとは「逃げの感情」です。

世を呪うって、つまり自分の運命の賽を投げている状態なわけです。

自分で賽を投げてるくせに、世界への怨恨は捨てられない。

これを自覚したら、もうオベロンは甘えになってしまうんです。だからもう腹を括って現実をサバイブしていくしかない。

 

FGOはこういう感情体験ができる素晴らしい作品だと思います。

FGOはいまストーリーを追いかけている僕のような世代が、いまだに消化しきれていない感情や問題を物語として表現しているわけです。

だからこの物語がどう完結するのかは絶対に見届けたいですね。

 

 

 

なので早くメインストーリ―を更新してください(傲慢)