NEEDY EXPLORER

日常で感じたことを書いてみます

親と和解せよ

明けましておめでとうございます。

NEEDYです。まだ初めて間もないブログですが、今年もよろしくお願いします。

 

今日は近所の神社へ初詣に行ってきました!

実をいうと、いまの地域に引っ越して6年も経つというのに、僕は地域の初詣に行ったことがなかったんです……。

しかし、普段から散歩ではしょっちゅう神社に行く僕です。年明け、遠くから響いてくる除夜の鐘を聞いてこう思うわけです。

「普段からお参りに行ってるし、さすがに今年はなー」と。

ということで、初詣に行く理由としてはなんか違う気もするんですが、とにかく行ってきました。人がめっちゃいたよ。

 

さて、記事のタイトルに触れさせてもらいますと、今回の話は「親との和解」です。

新年早々重たい内容なんですけど、今日昨日でいきなりその話が動いちゃったので、まとめていこうかなーと。

 

あんまり言いふらすようなことではありませんが、僕が生まれ育った家庭環境はなかなかに最悪でした。

 

 

なんていうんでしょうね、親の気に障ることをすると物理的な暴力が飛んでくるのがもう当たり前すぎて、「クラスメイトのみんなも親から包丁のひとつやふたつ向けられてるんだよな」と子供の頃は思ってました。世紀末の世界観ですね。

 

親に怒られる=殺されるほどの痛い目に遭う

 

これが子供の頃に学んだ常識でした。

親は生殺与奪の権を握る絶対的存在なので、自分の感情よりも親の感情を介護してあげないといけないわけです。だって子供だけじゃご飯を食べていくこともできませんし。僕以外のきょうだいもそういう風に、おどけた子供を演じて家庭のムードメーカーになってあげて、その日その日を生き延びたんですね。アラビアンナイトかよ。

 

ひどさを通り越してもはや笑えてくるエピソードも多々あるので軽く紹介しますと、

 

「学校から家に帰ってきたら水道が止まってたので、友達の家のお風呂を借りた」

「家から追い出されても行く宛がなかったので、真夜中の中学校の昇降口前の地べたに寝た」

「家賃を滞納しすぎて住む家がなくなり家族が蒸発した」

 

書いててドン引きです。

でも類は友を呼ぶので、学生時代の僕の友達は、これよりも笑えない虐待エピソードをみんな持っていました。怖いですね。僕の仲の良い友達はみんな親から虐待を受けていました。

やっぱ今の時代ってみんな親から殺されかけたエピソード持ってるんですかね。みんなが何かしらの虐待を受けている世の中なのかもしれません。

まあとにかく、そうやって僕は友達と「家庭環境がやばすぎる話」を笑い話に消化して、ガハハと笑ってなんとか学生時代をやり過ごしていたんですね。

 

そして、高校生になれば酒に手が伸びるわけです。

高3の末期には毎晩のように海岸で友達と酒を飲んで、テトラポッドに登って「こんな世界滅びろよ!」とか叫んでいたわけです。夜の真っ暗で何も見えない太平洋。僕の地元の海岸からだと、視界の左奥で江の島の灯台の光がちらちらと見えるんですね。あの光、なんか好きだったなあ~。そのせいか、僕はいまだに江の島の灯台をみるとあの頃がフラッシュバックして悲しい気持ちになります。

 

まあそういう家庭に生まれてしまったのもあって、僕はいまでも不安障害と虐待のPTSDを持っていて日々を生き抜くのがつらいんです。

でも、こうしてまだ生きているわけですから、決して死にたいわけじゃないんですよね。

 

傷こそ深いかもしれませんが、傷は癒えるものです。

でもその傷は、親も、他の誰でも、決して治してはくれません。というか他人には治せません。だからこの傷は僕が自分の意志で治さなければいけないわけです。

 

というような「虐待の傷は最終的に自分が癒して自分で立ち直らなければならない」ということを自覚したはいいものの、トラウマのエピソードと向き合うのはまあまあしんどくて、気づいたら25歳になってました。もう学生じゃねえのよ俺。

 

親から虐待を受けたので生きられません、とか言っていられない。俺にはプライドがあります。「虐待の被害者」という立場のままでずっと生きてくのは嫌ですから。

 

前回の記事にも書きましたが、最後に親に会ったときは、

「もう和解も家族も諦めて、親が死んだそのとき、色々あったけど最後に会ったときは温かな思い出だったなあと思いたいし、もうこの際全部許すわ」

とか思ってたんですね。

実際、許せていたつもりだったんです。

 

でも新年明けて、親からきたメールがまあまあ僕に「怒り」を思い出させる内容でして。

まるで何もなかったかのように「仲の良い家族」みたいな文面であけおめとか言ってくるわけです。ちなみに僕は短気で割とカッとしやすいです。そのときは酒も入っていましたので、火に油でした。

 

怒った俺は、

「そういう馴れ合いとかいらんから、もういい加減、子供を虐待したその心理を話してくれんか?」

と親に送り返してしまったわけです。

 

「自分の加害体験と向き合ったところで別に殺されるわけじゃないし、社会的に責められたりしないでしょ。俺はもう許してるんで。あとは謝罪するだけじゃん」

「この話をするのを避けて家族には戻れないよ」

 

その後、ちゃぶ台返しみたいに怒涛のお気持ち表明をしてしまったわけです。

まあこれでも響かねえんだろうな~とタカをくくって親をブロックしようと思ったそのときでした。

 

「私が悪かった。だからちゃんと会って話そう」

 

と返ってきたわけです。

 

衝撃でした。絶対逃げると思っていたので。

でも同時に「厄介なことになったぞ」と。

文面上でやり取りするのと、実際会って話すのは全くの別物です。

もう僕も大人ですから、子供の頃のように親からの暴力にさらされることはないんですけど、やっぱ怖いんですよね。

だってかつて胸元に包丁突きつけてきた人と、その件について話すんですからね。とっさに身体が防御反応をしてしまうというか、フラッシュバックがやばいです。

 

虐待によるPTSDって結構持ってる方多いと思うんですけど、その解決法についてはまだ時代が追い付いてないんじゃないかと僕は個人的に思っています。

僕としては結局は当事者同士の対話で癒していくしかないと思うんですが、自分がまさにそれをこれからやると思うとかなり怖いですね。

今は殺されそうになっても反撃できるくらいの身体なんだけど、傷ついた心の部分は子供のときの感情を引きずっていますからね。またアラビアンナイトみたいなことにならないといいんですが。気を抜くと親のご機嫌取りしそうになるこの呪いを祓いてえ。

 

怖い! でもがんばれ俺!

 

ということで、新年早々ヘビーな記事を書いてしまったかもしれませんが、

今年がいい年になるよう、僕はこの試練に立ち向かっていきたいと思います。

 

それでは。