NEEDY EXPLORER

日常で感じたことを書いてみます

セクシーボイスアンドロボ

こんにちは。NEEDYです。

12月になりました。来月にはもう2024年だと思うと衝撃です。

 

寒くなりましたね!

「越夏」という言葉はなかなか耳にしませんが、「越冬」という言葉はしばしば耳にします。その理由を身をもって理解しました。

僕の住む地域では、朝の気温が0℃以下になることが多くなってきました。いや、マジで寒すぎる。いつも寒さで目が覚めます。越冬って言葉に納得。確かに冬は乗り越えるものだと実感しますね。

寒いのは苦手です。まだ冬になったばかりですが、もう春が待ち遠しい気分です。

 

ところで、近頃は夢をよく見ます。幼いころの夢が多いです。

僕は基本的に夢を見ない人間だったんですが、壊れた給湯器を買い替えられるようになったり家族と久しぶりに食事をしたり、その他諸々、日常における不安要素が減ったのもあるのか、結構熟睡できるようになったんですね。

やっぱ心に不安があると頭の片隅で気を張っちゃうというか。だから身体も力を抜けきれずにどこか強張っちゃう。とにかく安心できる状態って大事です。マズローの欲求五段階説はかなり的を得ているんじゃないかと思います。

 

というか、毎日のように夢を見るなんて小学生のとき以来かもな~、なんて考えていると、ふと昔に観ていたドラマを思い出しました。

その名もセクシーボイスアンドロボです。

これは2007年に日テレで放送していた番組です。

当時、デスノートの映画でL役をやっていた松山ケンイチが好きだった僕は、このドラマが放送することを知り、

「L役の人がドラマに出るなら絶対観たい!」

と、小学生には夜更かしの時間帯である22時放送のこのドラマを、親に頼んで録画して観ていました。

 

もう16年前のドラマなんですが、かなり印象深い作品だったので「久しぶりに観てみたいなあ」と思ったはいいものの、

このドラマ、サブスクにはなかったんです。

レンタルでなら観れるようです。でもせっかくなら一度きりじゃなくて何度か観返したい……。

 

ってことでDVDBOXを買いました。

BOXが原作絵なのがいいですね。2007年当時に買った原作本と並べてみました。

ドラマ版は原作とは設定がかなり違うし、オリジナルエピソードの方が多いんですが、

僕のなかで一番記憶に残っているかつお気に入りの回でもある第1話「三日坊主」は、原作にもあるエピソードでした。

 

繰り返しますが、これ2007年の作品です。当時の僕は9歳でした。文章にしてみると衝撃。「俺、9歳のときにこれを観てたんだ……」と子供時代の感傷的な記憶に引きずられながら、届いたBOXからおもむろにDVDを取り出して、さっそく第1話「三日坊主」を視聴しました。

 

「親に相談する子供なんて、この世に居るのだろうか」

「大抵の親は面倒なことは知りたくない。子供はそういうこと、嫌ってほど学習しているから」

「よく知っているのだ。とにかく問題を起こさないこと、トラブルになることは避けて通ること」

「へまをして、学校にも家にも居場所を無くした子が、今どうしているのか、私たちは知らない」

「私にとって世界は、家と、学校と、コンビニで出来ている」

 

大後寿々花演じる中学生の主人公・ニコによる独白から第1話は始まるんですが、この語りが当時から非常に印象的だったのを思い出しました。

 

今になって観ると、非常に辛辣な独白ですよね。そのほかにも、作中で語られるニコの台詞は大変心に突き刺さるものが多いです。親が途中から一緒にこのドラマを観なくなった理由がよくわかりました。

同時に、このドラマに僕はものすごく救われていたのだと実感しました。地獄みたいな家庭にいた自分にとって、希望の光のような作品だったんだと。いや子供の頃にこんなん観てたらめっちゃ影響受けるに決まってるやんけ。

確かに子供って親のことすごく気遣ってるんですよね。興味を引くためにわざとおどけてみたり、親が望む子の像を演じてみたり。いや〜俺って家でも学校でも散々道化を演じてきたなあ、なんて主人公・ニコの姿に自分を重ねながらいろいろなことを思い出しました。

 

ニコは七色の声を使い分ける特技と、非常に良い耳を持っています。

その才能を存分にいかして、松山ケンイチ演じる「ロボ」といろんな事件に立ち向かう、というのがこの作品のあらすじなんですが……

 

この第1話「三日坊主」では、ニコが中村獅童演じる殺し屋・三日坊主と関わったことにより、最終的に三日坊主は裏社会の人間から始末されてしまいます。

 

それをニコは新聞の一面で知ります。自分が三日坊主と関わらなければ、三日坊主は死ぬことはなかったのか。

 

「もし私が三日坊主に会わなければ、三日坊主は生きてたってことですか?」

「だとしたら私のせいだ」

 

そう悔やむニコに対して、浅丘ルリ子演じる謎の組織の女主人がこう返すんですね。

 

「そうよ。あなたのせいよ」

「だってあなた一人で生きてるんじゃないもん。この世界にあなたは関わっているの。どうしようもなく、関わっているのよ」

 

とても辛辣で厳しい、冷や水を浴びせられた気分になる言葉です。

でも、その通りだなって思います。

僕はこの世界に関わっている。そう考えた瞬間、親から向けられた「悪意」を他者に垂れ流した過去が頭をよぎり、うっと思わず頭を抱えそうになる。

だからそういう意味では、僕は誰かの人生に負の影響を与えているのかもしれない。

でも、それだけじゃない。これまで関わった人たちに、もしかすれば、自分は良い影響を与えているのかもしれない。

かつての同級生の言葉に傷ついたこと。同時に、かけてくれた言葉に救われたこと。それと似たようなことを他人に僕はしていたのかもしれない。等々。

 

第1話を観ただけで、ぶわーっと洪水のように自分の人生を内省してしまいました。

 

一気見するつもりでいたんですが、これはゆっくり消化していく作品ですね。

調べてみたら、かなり有名な脚本家のドラマだったんですね。木皿泉。「野ブタをプロデュース」だとか、「Q10」だとか、めちゃ有名な作品の方じゃないですか。

 

というわけで、子供の頃に観ていた作品をいまになって観てみると、想像以上に「作品」というものに自分の人生は影響を受けていたのだと気付きました。

 

少なくとも、木皿泉の脚本に、僕はものすごく影響を受けていたようです。

 

とりあえず、自家中毒にならない程度に、ゆっくりと1話ずつ消化してこのドラマを観なおしていこうと思った今日このごろでした。