NEEDY EXPLORER

日常で感じたことを書いてみます

高貴な経験

こんにちは。NEEDYです。

 

真夜中にふと目が覚めてしまい、なんだか眠れそうにない気分になったので、今回は子供時代のある思い出について書き連ねてみようと思います。

 

 

僕の母方の家系は、とある宗教法人の運営を担っていました。

今もバリバリ残っている宗教法人なので名前を出すことはできませんが、僕の母方の祖父母はその宗教法人の施設の管理人をしていました。

寺や神社で例えれば、そこで住み込みになって施設を管理している人、とでも言えばいいでしょうか。当時暮らしていた家からその施設が近かったのもあって(事実上祖父母の家がその施設だった)、幼い頃はそこによく遊びにいっていました。

宗教のことはよくわからなかったので、当時の幼い僕の認識では、「おじいちゃんとおばあちゃんの家は寺」みたいな感じでした。一般の寺くらいの広さがあり、祖父母に会うのも兼ねて週末になると両親はいつもそこに出かけるので、当時は「休みの日に行ける別荘のような場所」という感覚がありました。

 

平日は足の踏み場のない荒れ狂った家で過ごし、休日になると寺のような祖父母の家で過ごす。

 

振り返ってみると、この生活ルーティンが、僕が自分の家が劣悪な環境であるという認識を持たせるきっかけになっていたと思います。

掃除もされていない汚い実家と、しっかりと管理された寺のような祖父母の家。

どちらがいいかといえば、当然後者の方がいいに決まってますよね。僕は祖父母の家が大好きでした。渡り廊下からは美しい日本庭園が見え、渡り廊下で囲まれた家の中央には80畳ほどの大きな集会場がありました。

 

土日はいつも人がいっぱいでしたが、たまに人が集まらない日もありました。

そうすると、80畳の集会場の空間は僕だけが独占できるんですね。だだっ広い空間に寝転がって、天井の側面にある四方に張られた窓から差し込む陽光が気持ちよかったのを覚えてします。特に陽光に照らされた宙に舞う埃がダイヤモンドダストのように綺麗に見えて、集会場の奥にある巨大な祭壇とも相まって、なかなかに神秘的な空間でした。

 

施設の近くに住んでいたのは僕の家族だけでなく、3個上のいとこのお姉ちゃんの家族もいました。だからよくそのいとこのお姉ちゃんと庭園で遊んだり、施設の周辺を探索したり。施設には良い思い出がたくさんあります。

 

もちろん宗教施設だったので、子供である僕でも、儀式のようなものには参加させられるわけです。

詳しい内容は書けないのですが、その内容としては教会の祈りの時間のようなものに近いです。畳に正座をして、念仏のようなものを唱えて瞑想をするんですね。

振り返れば、この時間も僕にはありがたかった。その機会で「瞑想」というものを僕は知ったんです。己の心と向き合う時間とでもいえばいいでしょうか。親はそれに参加していた記憶があまりないんですが、僕は巨大な祭壇に向かって瞑想するのが好きだったのでよく参加していた記憶があります。

 

僕が小3になるまで、その施設は祖父母の家でした。

これは後に知ったことですが、僕の祖父は酒癖が大変悪い人で、もう管理を任せられないと役を解かれてしまったようです。祖父母はその施設を後にし、以降は僕たちの家族と暮らすことになりました。

 

僕はその場所にもう行けなくなってしまったことがショックでした。もう庭園で遊ぶことも、広い集会場で仰向けになってお昼寝もできなくなってしまった。しばらくは落ち込んでいた記憶があります。

 

で、いま大人になってその頃を振り返ってみると、あの経験が僕を奮い立たせているなと思うんですね。

宗教はよくわかりませんでしたが(後にあるところの政治団体だったと気づいた)、あれだけ高貴な体験をしてしまったんです。こういう暮らしがあることを知ってしまったとでもいえばいいでしょうか。

 

僕の子供時代が、掃除もされない荒れ狂った一軒家だけで終わっていたらと思うとゾっとすることがあります。

あの宗教法人の施設に入り浸った経験が、僕がいま前向きに生きていくモチベーションのもとにつながっているのではないかと。正直否定はできません。

 

これが僕の人生における高貴な経験でした。

僕はある種の「快適さ」を理解できたといいますか、別に寺レベルの家に住む必要はないですが、瞑想という内省の手段を覚えられたことは大きかったと思います。じゃなかったら、親との関係について冷静に整理して考えられなかったかもしれませんし、そもそもあの環境を生き抜くことはできなかったでしょう。かなりの確率で非行に走っていたと思います。

 

これはつい最近知ったことで、その宗教法人は政治団体だったようですが、それでもあの施設という箱は、僕が前を向くために大きな影響を与えてくれたギフトのようなものだったと思っています。

確かに親は親じゃなかったし、施設を後にして僕の家族と同居するようになった祖父母も癇癪を僕にぶつけてくるようなダメな人たちで相当苦しめられましたが、あの高貴な経験は絶対に誰もができるわけじゃなかったと思います。僕はある意味恵まれていたんです。間違いなく、あの場所で過ごせたことは僕の人生における大きな糧でした。

 

いまでも僕は神社や寺をめぐるのが趣味なので、この趣味もそこから来ているんだと思います。

 

人生には、いろんなターニングポイントというか、前を向くための種(シード)がそこかしこに蒔かれているのだなと度々感じます。

長い間、僕はそれを無視してしまったこともありましたが、今一度人生を振り返ってみて、実は豊かな心につながる種がたくさんの場面で蒔かれていたのだと知ると、人生捨てたものじゃないなと。

 

もしかしたら、まだ気づいてない種を探して、それを咲かせられたら、僕の人生はもっと楽しくなるのかも。

なんて思いながら文章を綴った深夜の今日この頃でした(書いてたら眠くなってきたのでおやすみなさい)