NEEDY EXPLORER

日常で感じたことを書いてみます

怒りを手放したい

こんにちは。NEEDYです。

 

3月もそろそろ折り返しですね。

今朝は散歩をしていたら椿の木にとまっていたウグイスが「ホーコケキョ」とあの鳴き声を出していました。いやあ、春ですな~。

 

僕の近況はといえば、仕事を辞めて今月からめでたく無職となりました! いや全然めでたくねえ〜

うつでした。これは虐待のPTSDを克服しようと、トラウマを掘り返しすぎた結果だと思っています。

人間を前にするとパニック発作が起きちゃうレベルで精神が限界になってしまったので……しばらくは心を整理することに努めたいですね。

人は別に怖くないって頭ではわかってるんですが、いざ前にしてしまうと恐怖で頭が真っ白になり動けなくなってしまうんです。おそらく心と身体の感覚が乖離してるんだと思います。はあ~~~~~~(溜息)

 

振り返れば去年の秋からこのブログを始めて、もう半年ほど経とうとしています。

このようなしがないブログの記事にいつもスターを付けてくれる方、すごく励みになっています。現実で人に話せないような内容ばかり書いているので、誰かに話を聞いてもらえたみたいでとっても嬉しいです。本当にありがとうございます(泣)

 

ブログを始めた理由は、自分の人生を見つめ直して、いま考えていることを文章にして整理したかったからです。

しかし、僕はひとつ意識に上げるのを避けていたトラウマがありました。

今回はそのことについて書いていこうかなと。

 

まず前置きすると、僕はこれから性的虐待について話します。

つい最近気づいたんですが、自分は親ないしはその世代の人間に対してめちゃくちゃ怒っているようです。最終的にはこの怒りを手放して楽になりたいという話です。

 

過去の記事で散々虐待については書いてきたのですが、一応整理してみます。

僕は足の踏み場のない荒れ狂った一軒家で育ちました。そんな家なので当然親も心が荒れ狂っていて、特に母親はあらゆる癇癪を子供にぶつけてしまう人間でした。

きょうだいを含め僕たち子供が親に感情を出すと、母親は「黙らないと殺す」と子供に包丁を突き付けてしまうタイプの人間で、僕は感情表現をひどく抑え込まれて育ちました。

 

でも、冷静に考えて子供が感情を出すと包丁を突き出してしまう精神状態ってめちゃくちゃやばいですよね。

大人になったいまだから思えることですが、僕の母親は精神的な病気を患っていたのでしょう。母親には精神的なサポートをしてもらえる環境が必要だったんだと思います。

 

一方で父親はといえば、そういった夫婦で必要なコミュニケーションからとにかく逃げて、生活費だけを用意する役でした。だから虐待のことも見ないふりをして、仕事から帰ればすぐに自室に篭る毎日です。何も考えたくなかったんでしょうね。

そんな夫婦の不満の矛先は、虐待という形で子供に向けられていました。

最終的には父親も心を病んで失職し、僕の家庭はめでたく崩壊、一家は解散、家族は消滅したわけなんですが。

 

しかし、僕はこのことで親にどうこう言いたいとは思いません。

 

冷静に考えてみましょう。

普通の精神状態の夫婦だったら、そもそもこんなことになっていません。

つまり僕の親は親になる以前の問題を抱えていたということです。

 

じゃあ何が両親を普通じゃない精神状態にさせていたのか、といえば。

祖父母しかいませんよね。そもそも親の親が、未熟だったという話です。

 

振り返れば、祖母は自分の子供(僕の親)の悪口を孫である自分に聞かせてしまうような人でした。つまり子供に嫌味を浴びせるタイプの親だったということです。

祖父は酒ばかり飲んでいつも癇癪を起こしていました。

こんな親の元で育てられた自分の親は……考えれば当然、まともに育つわけないですよね。

 

虐待とは連鎖するものなんです。

つまり母親が僕たち子供にした虐待というのは、母親が子供のとき親からされた虐待だと理解できます。垂れ流してしまったんですね。

 

その中でも、母親は僕にある加害をしてしまいました。

それが性的虐待です。

僕は母親からされた行為がどんな意味を持っていたのかを考えることをずっとやめていました。心が壊れてしまうから。

家族のなかでも特に僕が母親から癇癪をぶつけられた理由はそれだと思っています。

僕をみると性的虐待をしてしまったことを思い出してしまうからなんですね。母親は母親で僕への性的虐待をしてしまった加害のトラウマで発狂していたというわけです。

 

僕は女性が怖いです。正確にいうと、女性の性欲が怖い。

あのときの感覚を思い出してしまうと、もう吐き気が止まらなくて、気持ち悪くてしょうがないんです。

 

でも、これについて考えることを一生やめておくことはできないんです。

一刻も早く、僕はこの傷を癒したいんです。この親からつけられた傷を癒さないまま、された意味を考えないまま、恐怖から逃げ続ける人生なんてまっぴら御免なんです。

 

だから僕はなぜ母親が性的虐待をしてしまったのか、考えていました。

その末に出た結論は、母親もおそらく性的虐待を受けたのだろう、ということでした。

 

母親から聞いたわけでもないですし、これは僕の想像でしかないのですが、振り返ってみると母親と祖父の関わり方はちょっとおかしかったんです。妙に隷属的といいますか。性的虐待を受けていた結果だとすれば納得できるんです。

 

だから祖父がずっと酒を飲んでいた謎も解けました。娘にした加害体験を思い出したくなかったんですね。

僕の母親は4姉妹の末っ子だったのですが、母親の姉たちは祖父から暴力を受けていたそうです(これは母親の口から聞いた)

 

何もないところから暴力は始まりません。

もしかしたら祖父母も虐待を受けて育ってきたのかもしれませんね。

 

そう考えると、僕は虐待を垂れ流し続けた一族の果てにいる存在というわけです。

まあ僕はゲイなので、子供を持つことはないと思うのですが、この構図に気付けた以上、僕の代でようやく虐待の連鎖が終わったのかもしれません。

 

暴力って無意識に垂れ流しちゃうんですよね。僕も子供の頃、親からされた暴力を他者に垂れ流してしまった過去があります。

暴力の意味について考えることをやめてしまうと、知らず知らずに被害者でありながら加害者になってしまうんですね。これはとても恐ろしいことです。だからこそ僕はとにかく自分の感情や行動に自覚的でありたいわけです。

現実問題、親は自分の感情や行動の意味について考えるのをやめてしまっているから、僕との和解や家族関係の修復ができないんです。自分自身と向き合うことから逃げているんですね。

 

で、いまの僕の課題はといえば、

凄まじい怒りが心のなかにあるということです。

 

僕は怒っているんです。

許しているにも関わらず、なぜ母親はいまだに加害体験と向き合えないのか。

明らかに異常な家庭だったにも関わらず、なぜ周囲の大人はこのことから目を逸らしてきたのか。

 

僕は子供の頃、親から排泄を制限されていました。そのせいで「トイレに行きたい」と言えなかったんです。言って癇癪を起こされるのが怖かったから。

その結果、小学校の頃、僕はおもらしをよくしていたんですね。でもおもらしを何度もしてしまうって明らかにおかしいじゃないですか。学校の先生たちはこのことを見過ごしたんです。

 

そういった問題から目を逸らす年上の世代に対する怒りが、僕の心の大半を占めていることに気付いたんですね。

でもこの怒りって、誰かにぶつけたって仕方ないじゃないですか。

爆発させたところで疲れるし、悲しくなるだけなんです。

それに怒ったって仕方がないんです。

人間は完璧じゃありません。昔は生殺与奪の権を握っている絶対的存在のように見えていた親も、いま見たら、ただただ暴力に傷ついたひとりの人間でしかないわけです。

 

それは周りの人間にも言えることで、当時知らないふりをしていた大人たちも、結局は声をかけることができない精神的な事情があったんだと思います。まともな人ならちゃんと声を挙げられると思うので。みんな、心がいっぱいいっぱいだったんでしょう。

 

と、そこまで考えてみても、この怒りをどうしても僕は手放せないんです。ふと気づくと、それは肥大化して社会というものにまで向いてしまう。世界が滅べばいいと願ってしまう。

でも、そんなことにエネルギーを割く人生よりも、自分の心が本質的に望むことを叶えるほうが遥かに幸せなんです。当たり前のことですけどね。

僕は早く自分の思い描く幸せを目指したい。

 

頭ではわかっていても、この怒りを昇華させることができないのが現状です。

もしかすれば、怒りが手放せない僕は、どこかで誰かに助けてもらうことを期待しているのかもしれません。でも僕を助けられるのは僕だけです。もちろん僕も、本当の意味で他者を助けることはできません。

結局、自分で前を向いて、自分の意志で生きていくのが人生だと思いますから。

 

散々ここまで書き連ねてどう〆ればいいのかわからなくなってしまいましたが、

 

虐待は連鎖するということ

親も虐待の被害者であるということ

人間は完璧ではなく不完全であるということ

 

このことをしっかり受け入れて、少しずつこの怒りを手放していけたらなと思っています。

頑張って生きていこう!