NEEDY EXPLORER

20代ゲイが日常で感じたことを書いてみます

同窓会的な

こんにちは。NEEDYです。

すっかり夏になりました。虚弱体質な自分にとっては大変な酷暑の日々ですが、街の向こうに見える入道雲とかを見ていると無性にいい気分になります。夏といえば入道雲ですよね。

 

最近の出来事はというと、

先月、高校の文芸部のメンバーが十年ぶりに集まって、文集をリリースしました。

 

今年の三月から立ち上がった企画だったので、結構な突貫作業だったのですが、なんとか原稿を締切に間に合わせることができました……。よかった!

 

自分が書いたのはゲイの高校生の恋愛ものというか、青春小説的なものだったのですが、仲間から「よかった!」と感想をもらえたのが嬉しかったですね。

 

文集をリリースするにあたり、打ち上げも開催することになりました。

打ち上げといえば焼肉ですよね。自分は地元から離れた場所でいまは暮らしているので、今回の打ち上げで久しぶりに帰省することになりました。

二年ぶりかな? そんな久しぶりでもないですね。

 

文芸部のほとんどのメンバーとは十年近く会っていなかったので、みんなすっかり大人になっていて驚きました。

僕は……「あんまり変わってないね」と言われました(笑)

ちなみに行ったのは、食べ放題じゃないタイプの焼肉屋さんだったのですが、いやー、肉ってマジで美味いですね。僕はカルビが好きです。肉の脂が最高なんです。

 

打ち上げ後は、せっかく地元に帰ってきたので、中学の同級生にも会ってきました。最近家を建てたみたいで、できたてほやほやの新居にお邪魔しました。

もう俺も、同級生に子供がいて、家を持つ人もいるような歳になってきたんですね。なんだか感慨深くなっちゃいました。

 

ちなみにその日は日帰りの帰省だったのですが、その後、身体にガタがきたのか、夏風邪を引いてしまいました。一週間以上寝込んでしまって、だいぶ身体が鈍ってしまった……

 

そうそう、いまの楽しみはといえば、焼肉のときに「高校の同級生に声をかけて、今年中に飲み会を開催しようというか」話も出てきたので、それが楽しみですね。

今回の打ち上げも同窓会的な感じでしたが、さらに大勢の同級生と飲み会だなんて、なかなかない機会ですよね。文集を出せて本当によかった。

 

コロナ以降、交友関係がかなり希薄なっている自分なので、こういった機会は本当に人生が変わるチャンスかもしれないな、と感じています。このまま何か行動できたらいいんですけどね。

とりあえず今のところは、せめて夏バテしないように、虚弱ながらも今夏を乗り越えていきたいです。

書きかけの原稿を拾い上げる

お久しぶりです。NEEDYです!

 

今年はまだ更新してなかったのですが、もう4月も終わろとしてますね。

僕の暮らす街では桜も散り、すっかり青い葉をつけています。万緑の季節が近いですね。

 

ところで、最近の自分はあることに打ち込んでいます。小説執筆です。

3月ごろから、10年前の高校時代のときの所属していた文芸部のメンバーから連絡があり、「文芸誌の10周年記念号を作ろう」と企画を持ちかけられました。

 

今の歳になって、高校時代のメンバーと文芸誌を作る機会なんてなかなかないと思います。僕はそれを承諾し、企画に参加することになりました。

 

そして何を書こうか、と考えたとき、10年前に書きかけで投げた原稿の存在を思い出しました。ゲイが主人公の恋愛ものです。

あの頃は自分の書きたい物語をうまく形にすることができませんでした。でも今の歳なら書けるかもしれない。そう思って、僕は10年前の原稿に再び取り組むことにしました。

 

が……

 

まったく書けない。

小説執筆なんてだいぶ久しぶりのことです。楽器の練習をサボってると演奏が下手になるように、文章も書いてないとうまく書けないんですね。毎日パソコンのエディターに向かってキーボードを叩いてますけど、全然うまい文章にならないんです。

僕は負けず嫌いです。できれば良い作品にしたいし、なんなら今回の企画の作品のなかで、一番面白いものにしたい。そういう気持ちも、作品へのクオリティのプレッシャーになっています。

 

でもやることがある、というのは良いことですね。

無職の自分にはこれ以上ないやりがいのある行為です。

 

締切まであと2ヶ月もありません。何としてでも書き切りたいものです。

頑張るぞ!

真夜中の海に吐き散らせ

こんにちは、NEEDYです。

 

11月も後半戦。このブログも始めて一年経ちました。

 

気候変動がすさまじいですね。11月中旬だというのに、日によっては、外はまだまだ半袖で行けそうな暖かさです。去年は灯油を全然使わずに終わってしまったんですが、今年もそうなりそうな予感。家計的には助かるんですが、環境のことを考えると複雑な気分です。冬、本当に来るんですかね?

 

そんな感じで、昔はもっと寒かったよなーと考えていたところ、高校時代、11月の海辺で半裸になってどんちゃん騒ぎをしていたときのことを思い出したので、忘備録よろしく書いてみることにしました。ここ最近の記事は昔話ばっかりですが、良かったら最後までお付き合いください。

 

 

今から9年前、高3になり自分の進路や人生について悩んでいた頃、僕は「ある会」を幼なじみと発足しました。

その名も「吐く会」。名前の通り、酒を吐くまで飲み続けるという大変不健全な会です。

 

小学校の頃からAVのパッケージが道端に落ちているような、そういうスラム街に暮らしていた僕は、当然の成り行きといいますか、中学生の頃にはもうお酒に触れる機会がそこそこありました。同級生の家でクリスマスパーティーをしていると当たり前のように酒を持ってくるやつがいたんですね。

しかし、やっぱり中学生は中学生。「俺酒飲んだことあんだぜ!」とドヤる程度の飲酒です。子供の身体にアルコールが有害であることは当時からわかっていたので、その害に若干ビビリつつ、クリスマスや正月、誰かの誕生日といった、特別な機会のときだけ僕たちは酒を許容していました。

ちなみに初めて飲んだお酒はブランデーのVOでした。

毎度、誰かが持ってきたブランデーを三ツ矢サイダーで割って飲む(というかそうじゃないと飲めない)。飲酒なんてイキリつつ、結局舌はお子様だったのです。

 

そして高校生になると話は変わります。酒ときたら、次はタバコです。

高1の秋頃になって、小学校からの幼なじみがタバコにハマり、周りに布教を始めました。そうなると当たり前のように酒が付属品としてついてくるわけです。

酒の入手方法も変わりました。中学時代は誰かが家にある酒をこっそり拝借していたのですが、高校生になってバイトで金が手に入るようになりました。しかしやっぱり見た目は子供です。店で買うには年齢確認の壁がありました。

ですが幸い、僕たちの世代はネット通販がスマホで気軽に使えるようになっていました。実店舗で買えないのなら、ネットで買ってくればいいのです。今でもこの方法で未成年が酒を買えるかはわかりませんが、当時の僕はアマゾンでアマレットやモヒートの瓶をたらふく注文していました。(真似しないでね)

届いた段ボールにはデカデカと「酒」と書かれていましたが、それも500円のギフトパッケージに変更すればモーマンタイです。まさに完全犯罪。いま振り返れば高校生のくせに贅沢な酒ばかり飲んでしました。あの頃はチューハイの味も、ビールの味も知らなかったのです。

 

酒を本格的に飲み始めたのは高3の春頃です。わかりやすいですね。僕は進路に迷っていました。僕の家庭は大学に行けるようなところではなかったので、諦めて就職するか、無茶を覚悟で大学に行くか、それともそのまま死んでしまおうか。

いま思えば「なんで選択肢に死が入ってんだよ」と笑ってしまいますが、当時は世界観も狭く、スラム街のなかで生きることに絶望を感じていたので、僕は相当思い詰めていました。

相談できる大人がいれば良かったのですが、スラム街にそんな大人はいません。自分の背中にのしかかる未来への重圧についに耐えきれなくなった僕は、酒とタバコで現実逃避することを決めました。

 

初めはバイト終わりに部屋で一杯キメる程度だった飲酒は、この頃には酔い潰れるまで終わらくなっていました。二日酔いの頭で電車に乗り込み、発狂しそうな頭で授業を受ける毎日。当時はそういうどうしようもない日常が僕の全てでした。

 

でも、一人酒って病むんですよね。毎回飲むたびバッドトリップしていた気がする。将来へのそこはかとない不安と、気持ち悪いアルコールの酩酊にぐちゃぐちゃになる感覚に浸っていたあの頃。誰かと話がしたい。誰かと飲みたい。二日酔いの果てにそう思うのは自然なことだったかもしれません。

 

こんな生活をしているのが僕だけだったら世の中は平和だったかもしれませんが、類友はいるんですね、幼なじみのなかで一番早くタバコを覚えたやつにこのことを相談すると、どうやらそいつも似たような屈託を抱えていたようです。そこから酒を飲む同級生に声をかけていったら、最終的に10人弱の飲み会グループが完成しました。

 

しかし問題がありました。飲む場所です。いくらスラム街とはいえ、親が不在じゃない限りは、高校生が自宅で10人弱の飲み会なんてできません。でもその問題もすぐ解決しました。大勢で酒が飲めて、騒いでも警察に通報されない場所。

僕の地元には海がありました。しかも住宅地とは有料道路を挟んだ場所にある海岸です。飲むには絶好の場所でした。

 

そこからはもう毎週のように、真夜中の海岸で飲み会が始まりました。それは次第にヒートアップしていき、「吐くまで飲む会」になっていきました。

当時、僕には好きなやつがいました。そいつの屈託に付け入るように、僕はそいつを吐く会に誘い、酒とタバコを覚えさせました。僕が勧めたモヒートとセブンスターをやつはいたく気に入ってくれた。いま思えば最悪に不健全な友達です。でも悪いことでそいつと繋がれるのが僕には嬉しかったんですね。今でもそいつがSNSにモヒートの画像をあげているのをみて、僕は思わずにやけてしまいます。かつて好きだった人のなかに、そういう形で自分の影響が残っているのって、ちょっと嬉しい気持ちになります。

 

でも終わりはいつか来るものです。僕たちが吐く会が消滅したのは、9年前の今頃でした。進路という現実からついに逃げられなくなったとき、吐く会は自然消滅しました。集まろうという声がかかる機会も減り、みんな突きつけられた選択肢を選ばざるを得なくなったのです。

 

9年も経つと、人は変わります。今はわざわざ真夜中の海岸で飲もうなんて思わないし、吐くまでなんて飲みたくありません。でも、当時は違った。みんな吐くまで酒が飲みたかった。あの頃に集まっていたメンバーとはもう幼なじみを除いてほとんど交友がありません。そういう意味では、現実逃避の仲間でしかなかった、そう受け取ることもできるでしょう。

けれど、僕にとっての高校時代の思い出には、かなり上位にこの吐く会があります。酔っ払ってくだらない喧嘩を繰り広げたり、死にそうな意識のなかでテトラポッドから昇っていく朝日をみんなで見たり。ゲロにまみれた一瞬の美しい景色。そういう経験は、後にも先にも、このときしかないんでしょう。

 

そうそう、僕は結局、大学進学を選びました。

あの頃にもし戻れるのなら、奨学金はとっておけと自分に言いたいですね。学費をバイトで賄った結果、心身ともにぶっ倒れてしまったので、借金をそこまで怖がるなと言いたい。

 

吐く会のみんなは今頃どんな人生を過ごしているのでしょう。書いていて気になってきました。

「みんな、僕は元気に暮らしています。これからもお互い、頑張っていこう。」

 

 

 

トー横で飲んでみて思ったこと

こんにちは。NEEDYです。

今日は昔話をします。

 

今から1年前の秋頃に、友達に誘われてトー横で飲んだことがあります。

友達曰く、「そろそろ警備員なんかが配置され始めてトー横に人が集まらなくなるから、最後に見に行ったほうがいい」らしく、トー横に行ったことがなかった僕はあそこがどういう場所なのかを知りたくて、飲みにいくことにしました。今回はその回想を書いてみます。

 

行ってみて思ったのが、生まれる年代があと5年ほどズレていたら、自分もトー横にいた人間だったかもしれない、ということでした。

 

トー横とは、歌舞伎町ビルとTOHOシネマ新宿ビルの間に挟まれた広場のことをいうのですが、僕が行った日は10代の子から60代の人まで、幅広い年齢層が集まっていました。

飲み方は簡単です。近くにあるファミマで酒を買って、地べたに座り、そこで宴会をするだけです。友達はそこらへんに捨ててあった段ボールを敷いて飲んでました。まさに路上飲み。ストリートのような世界です。

 

飲んでみてびっくりした、というか、不思議に感じたのは、その場にいる人たちに声がかけやすいという点です。トー横前にあるファミマで買ってきた白ワインのボトルを飲んでいると、どこからともなくおじさんに肩組みをされて、「俺にもくれよ」と声をかけられました。僕は笑顔でどうぞどうぞとボトルの中の酒を注ぎ、しばらくおじさんとお話しをしていました。

 

しばらくすると、今度は外国人の方に声をかけられました。話を聞くと、カナダから日本にやってきて、今は不法滞在状態になっているようです。英語とフランス語と日本語が喋れる方が日本で不法滞在しながらその日暮らしをしているという話は、俄かには信じられませんでした。それだけのスキルがあるならカナダでも日本でも正規に仕事が取れるだろうに、どうして日本という国のトー横という空間にやってきたのか。僕にとっては不思議で仕方ありませんでした。しかし、その人にもその人の事情があるのでしょう。

 

その後、トー横キッズと呼ばれる子と話したり、大音量で音楽をかけていた方に(ジュークボックス的な感じなのだろうか)ハレ晴レユカイをかけてほしい」とお願いし、ハレ晴レダンスを踊ったりしながらその日の夜を過ごしました。金を払わなければロクに飲めない東京という街のなかで、コンビニ酒を片手に地べたに座って大勢と飲めるトー横という空間の異様さに僕は自然と引き込まれました。

 

後日、トー横には柵が立てられ、あの夜のような宴会の様子は見られなくなってしまったので、本当に終焉の時期を見たんだなあ、と感じました。

 

トー横で飲んでみて思ったのは、終末医療の病棟のような空間だな、ということです。

優しい空間なんです。寂しさや痛みゆえに人を傷つけてしまうこともあるけれど、みんな誰かに声をかけてほしい、誰かと繋がりたい。そういう「前提」を皆が共有している空間。

トー横キッズと呼ばれる子たちが、どうしてここへやって来るのかもよくわかりました。居場所があるからなんです。

はぐれ者たちの居場所。はぐれ者同士、酒を交わし話すことができる空間。トー横のように気軽に人に声をかけられ、人と飲める空間を僕は知りません。

でも、どこかに死の気配が漂っている。故に終末医療の病棟。ホスピスです。

なんというか、もう人生に絶望してるし、死のうと思っているけれど、最後に人の温かさに触れたい。そういう気持ちを感じる空間なんです。

 

冷やかしのような存在である僕を温かく受け入れ、普段立ちんぼをしているときに使うホテルなんかを教えてくれた女子高生や、出勤前のホストと飲み交わすホームレスのおじさん。そんな場所が東京という日本の大都会のど真ん中にあったというのは、一体どういう意味なんだろうかと。

 

みんな辛い生い立ちがあるのでしょう。そう感じずにはいられない空間でした。

 

振り返れば、僕も大学時代、トー横ではありませんでしたが、新宿を彷徨う子供でした。大通りからゴールデン街に入る植え込みのある道に座ってストゼロを片手に飲んでいたら、ギョッとした顔で外国人に見られたのを今でも覚えています。ああ、俺ってトー横キッズみたいなことしてたじゃんと。あと5年遅く生まれていたら僕はあそこに通う子供の一人だったかもしれない。そんなことを思いました。

 

でも、トー横がああいった空間ではなくなってしまった今、あそこにいた子供たちや大人はどこへ行ってしまったのでしょうね。東京から、そういった優しさの空間がなくなってしまったことに、僕は少しの寂しさを覚えます。

もちろん、世間からの視点で言えば、あそこは治安の悪いスラムでしょう。

しかし、当事者の視点で言えば、あそこは居場所なんです。どこにも属せない、家にも居場所がない、そういう子供や大人たちの居場所。痛みを分かち合い、笑い合える空間。

 

しっかり言及しておかないといけないのは、あの場所で、訪れる子供の寂しい気持ちを利用し、傷つけようとする悪い大人はもちろんいたということです。そういう人間がやってくることも含めて、やっぱり異質な空間だったと思います。

そもそも子供に声をかけてあーだこーだするなんて、自身のインナーチャイルド以外の何物でもないだろうと思うわけです。病気ですよ。まともだったら高校生以下の子供に欲情なんてしません。歪んだ欲情を子供に向ける前に、なぜ子供に手を出したいと思っているのか、その自身の感情を掘り下げたほうがいいでしょうに。

 

トー横にいたときに僕ができたことは、ただ話を聞いてあげることくらいでした。辛い話も、楽しい話も、話せる相手として。たとえお互い初対面だったとしても。不思議と心を開いても構わないと思える魔法が、トー横にはあったと思います。

 

世間が見捨て、拾われなかった人々の居場所は、次はどこに現れるのでしょうね。

去年のトー横で飲んだときのアルバムを見返しながら、僕はそんなことを考えていました。

 

 

交際費が無ェ

こんにちは、NEEDYです。

 

9月になり、夏の盛りも終わったのか、僕の暮らす街では涼風が吹くことが増えました。

照りつける太陽はまだまだ灼けるように熱いですが、時折吹く涼しい風で汗が乾いていく感覚に、秋の気配を感じている今日この頃です。

 

今年の初めに仕事を辞めた僕は、現在進行形で無職なんですが、だんだんと疲れ果てていた心身が元気を取り戻していくなかで、とある問題にぶち当たっています。

 

金がない。

 

本当に金がない。必要最低限の生活をしていける程度の金はあるけど、余分に使える金がないんです。今の収入はもっぱら保険の手当金なんですが、働いていた頃と比べて3分の2未満の収入なので、かなりカツカツです。しかも税金は昨年の収入基準なので、実質収入は働いていた頃の半分以下と言えるでしょう。

それでも案外生活はできているので、自分の頭の中で思い描いていた「食べていくのための必要最低限の収入」というやつのハードルはずいぶんと下がったように思えます。

しかし、金が満足にあるかと言われれば答えはノーです。

 

友達と遊ぶ金がない。

 

俗に言う「交際費」というやつです。僕の今までの人生経験から考える金額にまったく届かない。まあぶっちゃけると、僕はいま月1万円のお小遣いで生活しています。

当然、欲しいモノやらサブスクやら、「生活する」こと以外の金はお小遣いから出すしかないわけです。もちろん交際費もここから出すことになります。

 

全然足りない。

 

まず、いま暮らしている街に友達は0人なので、友達と遊ぶとなると電車に乗って出かけるしかないわけです。大学生の頃には定期券で気軽に乗ってた電車も、毎度運賃を払うとなると結構な負担になります。あの頃は好きなだけ移動できて贅沢してたんだなと感じました。学割で定期券も安かったしね。

 

友達と一回遊ぶだけでその月のお小遣いが消滅するんです。でも遊ぶ以外にもやりたいことはあるし、欲しい本もあるし、お酒なんかの娯楽品も欲しいし……。

今の人付き合いのやり方だと金が足りねえんです。

 

そう考えると地元にいた頃は、友達の家で宅飲みしたり、近所の海に行ってBBQやったり、金額面でいえばたとえ1万円のお小遣いでも週1くらいなら余裕で人と遊べてたんです。そもそも交通費かからんしね。やっぱコミュニティは暮らしているところにないとダメっすね。

 

じゃあ、いま暮らしている街で友達を作ればいいじゃないかという話です。それなら気軽に家に呼んだり、海はないですが河原でBBQもできるじゃないですか。

その通りなんです。だから作りたいんです。

でもマイルドヤンキーよろしく地元のコミュニティという存在に甘やかされてきた僕は、この歳になってそういう「地元メンツ」みたいな仲の友達をどうやって作ればいいのかわかりません。いや実践はしたんですよ。

 

辞めた職場の後輩から「飲みに行きませんか?」と誘われたので、「いま無職だから宅飲みがいいな!」と返したら未読無視されました。そんなに俺の家来るの嫌だったん?

いや、言い方が悪かったのかもしれない。無職だから、とか付けなくても良かった。「宅飲みがいいな!」だけで良かったのかもしれない。

まあその反省は次に活かすとして、とにかくそういう「交際費を考えあぐねる」ような関係じゃない友達を僕は作りたいわけです。

地元のときは幼馴染だから、とかそういう理由で安易にそういう仲が成立したと思うんですけど、大人になって初対面くらいの人とそういう仲になるところまで仲良くなるには……と考えて、結局交際費がかかってしまうことに気づきます。無限ループかよ。

 

いま考えているのは、とりあえず、ゴミ拾いなんかのボランティアとかするのがいいのかもしれません。そういうところで知り合いを作るのがいいのかも。

でも、それもあんまりできる気がしない。なぜなら仕事を辞めていま無職になってるのは、元はと言えばうつになってるからなんです。ボランティアができるエネルギーがあったら働けてるっていう話です。

 

まあ結論としては、今は心身が完全に元気になるまで休むことなんだと思います。

……あれ? でもそのためには自分が孤独じゃない状態にならないといけないのでは(無限ループ)

 

とにかく、いまは人生のなかで試されている時期なんだと感じますね。

近所の人とかと仲良くなれねえかな〜〜〜〜

最近、意識的に近所の方に挨拶しているんですが、さすがにまだ家に上げるほどの関係性にまではなれてねえです。

 

地元のコミュニティに甘やかされ、それ以外の友達とは泡のように金をかける関係性の築き方しか知らないツケがここで来てしまったのかと思いますね。がんばれ、俺。