NEEDY EXPLORER

20代ゲイが日常で感じたことを書いてみます

トー横で飲んでみて思ったこと

こんにちは。NEEDYです。

今日は昔話をします。

 

今から1年前の秋頃に、友達に誘われてトー横で飲んだことがあります。

友達曰く、「そろそろ警備員なんかが配置され始めてトー横に人が集まらなくなるから、最後に見に行ったほうがいい」らしく、トー横に行ったことがなかった僕はあそこがどういう場所なのかを知りたくて、飲みにいくことにしました。今回はその回想を書いてみます。

 

行ってみて思ったのが、生まれる年代があと5年ほどズレていたら、自分もトー横にいた人間だったかもしれない、ということでした。

 

トー横とは、歌舞伎町ビルとTOHOシネマ新宿ビルの間に挟まれた広場のことをいうのですが、僕が行った日は10代の子から60代の人まで、幅広い年齢層が集まっていました。

飲み方は簡単です。近くにあるファミマで酒を買って、地べたに座り、そこで宴会をするだけです。友達はそこらへんに捨ててあった段ボールを敷いて飲んでました。まさに路上飲み。ストリートのような世界です。

 

飲んでみてびっくりした、というか、不思議に感じたのは、その場にいる人たちに声がかけやすいという点です。トー横前にあるファミマで買ってきた白ワインのボトルを飲んでいると、どこからともなくおじさんに肩組みをされて、「俺にもくれよ」と声をかけられました。僕は笑顔でどうぞどうぞとボトルの中の酒を注ぎ、しばらくおじさんとお話しをしていました。

 

しばらくすると、今度は外国人の方に声をかけられました。話を聞くと、カナダから日本にやってきて、今は不法滞在状態になっているようです。英語とフランス語と日本語が喋れる方が日本で不法滞在しながらその日暮らしをしているという話は、俄かには信じられませんでした。それだけのスキルがあるならカナダでも日本でも正規に仕事が取れるだろうに、どうして日本という国のトー横という空間にやってきたのか。僕にとっては不思議で仕方ありませんでした。しかし、その人にもその人の事情があるのでしょう。

 

その後、トー横キッズと呼ばれる子と話したり、大音量で音楽をかけていた方に(ジュークボックス的な感じなのだろうか)ハレ晴レユカイをかけてほしい」とお願いし、ハレ晴レダンスを踊ったりしながらその日の夜を過ごしました。金を払わなければロクに飲めない東京という街のなかで、コンビニ酒を片手に地べたに座って大勢と飲めるトー横という空間の異様さに僕は自然と引き込まれました。

 

後日、トー横には柵が立てられ、あの夜のような宴会の様子は見られなくなってしまったので、本当に終焉の時期を見たんだなあ、と感じました。

 

トー横で飲んでみて思ったのは、終末医療の病棟のような空間だな、ということです。

優しい空間なんです。寂しさや痛みゆえに人を傷つけてしまうこともあるけれど、みんな誰かに声をかけてほしい、誰かと繋がりたい。そういう「前提」を皆が共有している空間。

トー横キッズと呼ばれる子たちが、どうしてここへやって来るのかもよくわかりました。居場所があるからなんです。

はぐれ者たちの居場所。はぐれ者同士、酒を交わし話すことができる空間。トー横のように気軽に人に声をかけられ、人と飲める空間を僕は知りません。

でも、どこかに死の気配が漂っている。故に終末医療の病棟。ホスピスです。

なんというか、もう人生に絶望してるし、死のうと思っているけれど、最後に人の温かさに触れたい。そういう気持ちを感じる空間なんです。

 

冷やかしのような存在である僕を温かく受け入れ、普段立ちんぼをしているときに使うホテルなんかを教えてくれた女子高生や、出勤前のホストと飲み交わすホームレスのおじさん。そんな場所が東京という日本の大都会のど真ん中にあったというのは、一体どういう意味なんだろうかと。

 

みんな辛い生い立ちがあるのでしょう。そう感じずにはいられない空間でした。

 

振り返れば、僕も大学時代、トー横ではありませんでしたが、新宿を彷徨う子供でした。大通りからゴールデン街に入る植え込みのある道に座ってストゼロを片手に飲んでいたら、ギョッとした顔で外国人に見られたのを今でも覚えています。ああ、俺ってトー横キッズみたいなことしてたじゃんと。あと5年遅く生まれていたら僕はあそこに通う子供の一人だったかもしれない。そんなことを思いました。

 

でも、トー横がああいった空間ではなくなってしまった今、あそこにいた子供たちや大人はどこへ行ってしまったのでしょうね。東京から、そういった優しさの空間がなくなってしまったことに、僕は少しの寂しさを覚えます。

もちろん、世間からの視点で言えば、あそこは治安の悪いスラムでしょう。

しかし、当事者の視点で言えば、あそこは居場所なんです。どこにも属せない、家にも居場所がない、そういう子供や大人たちの居場所。痛みを分かち合い、笑い合える空間。

 

しっかり言及しておかないといけないのは、あの場所で、訪れる子供の寂しい気持ちを利用し、傷つけようとする悪い大人はもちろんいたということです。そういう人間がやってくることも含めて、やっぱり異質な空間だったと思います。

そもそも子供に声をかけてあーだこーだするなんて、自身のインナーチャイルド以外の何物でもないだろうと思うわけです。病気ですよ。まともだったら高校生以下の子供に欲情なんてしません。歪んだ欲情を子供に向ける前に、なぜ子供に手を出したいと思っているのか、その自身の感情を掘り下げたほうがいいでしょうに。

 

トー横にいたときに僕ができたことは、ただ話を聞いてあげることくらいでした。辛い話も、楽しい話も、話せる相手として。たとえお互い初対面だったとしても。不思議と心を開いても構わないと思える魔法が、トー横にはあったと思います。

 

世間が見捨て、拾われなかった人々の居場所は、次はどこに現れるのでしょうね。

去年のトー横で飲んだときのアルバムを見返しながら、僕はそんなことを考えていました。